平成14年11月23日クラス会

25年ぶりにみんなに会えた。ほんの少しみんなの風貌が変わったかと思ったが、一声聞くと、やっぱりあの時のあの人だ。なんにも変わっていない。あの時のことは夢の出来事だったのかと思う時があるが、こうしてみんなに会うとやっぱりあの時は現実であったのだと思う。湯浅君も病院から抜け出して駆けつけてくれた。クラス会が実現したのは君のお蔭だ。ありがとう。肇君にはクラス会発起にあたり努力いただき、ありがとう。

ちとせさん、真須美さん、信子さん、ゆり子さんには、会場を決めるのに随分歩き回って会場を選定いただいた。ほんとうにありがとう。そして遠くから来てくれたみなさん、ありがとう。みんなに会えて本当によかった。久々に大笑いした。楽しかった。会場に来れなかった方にも会いたかった。すぐにも第2回クラス会を行いたい。そのための準備委員会、予行演習、何でもよい。



(1列目左から)岡本崇男, 小泉ゆり子(山本), 吉田直樹, 湯浅良行, 竹内泉(和田), 井筒裕子, 奥村信子(郡),
(2列目)達脇真須美(和田), 堀切孝弥(羽山), 千葉輝男, (3列目) 蜂須賀義宗, 進藤ちとせ(増田), 沢中拓美,
村上寿康, 鈴木達也, 林順子(安達), 大森美穂(佐々木), 山本肇, 佐義幸雄,
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http://kobe.tokyu-inn.co.jp/html/index_access.html

(2次会へとつづく)佐義26Pクラス会2次会:イル・ジャポネ(創作懐石の店 東門街) 2002年11月23日 17:00〜19:00
2次会の会場までみんなで歩く。
途中、宿泊予定の「三宮ターミナルホテル」に寄り、宿泊者のチェックイン。
そこから先発隊が2次会会場へ向かう。ホテル組の2次隊もやがて会場で合流した。 1次会だけの予定だった千葉さんは2次会にも参加してくれた。順子さん、信子さんは2次会には参加できず残念でした。泉さんは1次会の写真撮影に間に合って、そのまま2次会へ参加してくれた。 2次会の司会の吉田君、ありがとう。岡本君から松川先生、久保先生の近況を報告してもらった。ありがとう。不思議で面白い店だった。みんなとすっかり話し込んでしまった。会場の選定してくれた、ちとせさん、真須美さん、信子さん、ゆり子さん、ありがとう。
すぐに時間が経った。2次会もほんとうに楽しかった。<HSPACE=10>
(1列目左から)吉田直樹,達脇真須美(和田),山本肇,沢中拓美,
(2列目)村上寿康,大森美穂(佐々木),堀切孝弥(羽山),井筒裕子,進藤ちとせ(増田),小泉ゆり子(山本)
 (3列目)佐義幸雄,蜂須賀義宗,竹内泉(和田),鈴木達也,岡本崇男,千葉輝男<HSPACE=10>
(3次会へ続く)

26Pクラス会3次会:「ゲストハウス」(カラオケボックス) 2002年11月23日 20:00〜21:30

チェコから一時帰国して参加してくれた井筒裕子さん、困難な時期にもかかわらず参加してくれた美穂さんが2次会を終えて帰るので、みんなで駅まで見送った。
私は2次会で帰ろうかと思っていたのに、千葉さんの泊まっていけという一言を機に、私は名残惜しい気持ちが押さえきれずに、3次会にも参加した。
三宮の夜の街をみんなと歩く。3次会の会場はカラオケだった。 26Pのメンバーとカラオケに行くのはこれが初めてだ。
1次会で神戸外大の校歌を真須美さんを中心に歌う予定だったが、私は進行係の役割も忘れて話に夢中になり、1次会の会場が時間切れで、それができなかった。
折角準備してくれていた真須美さんには申し訳なかった。そんな訳で、3次会でみんなで校歌を歌った。1次会の後で同窓会がダブルであった信子さんが帰っていたが、3次会に参加すると信子さんから連絡あり。信子さんを待って写真を撮ろうとしたが、その前に岡本君が帰ってしまったので
写真には岡本君が映っていない。残念です。申し訳ない。そして、カラオケボックスの予約時間ぎりぎりまで懐かしのフォークソングを歌い、最後に遠い世界に」をみんなでハモった。時間があっという間に過ぎてしまった。楽しかった。3次会幹事の鈴木君、ご苦労様。ありがとう。

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4次会へ続く)佐義

 

26Pクラス会4次会:「贔屓屋」(ひいきや) 2002年11月23日22:10〜24:00

3次会を終え、泉さんが帰る。名残惜しいが、みんなで見送る。
もともと3次会はホテル宿泊組の6人のためのものであったが、その3次会の後、残ったのはなんと13人。三宮の眠らない街をさまよいながら、4次会の会場探し。鈴木君が携帯電話で会場を予約してくれた。 4次会の会場は陣屋風のろばた茶屋。大きいテーブルを囲み、掘りごたつ風の椅子にみんなで輪になって座る。あれこれ話し込んでいたら、あっという間に夜の12時。聞きたい事も話したい事も山ほどあったが、もう時間が過ぎてしまった。今日は昼の12時からみんなに会っているのに、まだ話足らない、聞き足らない。この思いは、次回のクラス会でするしかないのか。千葉さんから「次回は還暦祝いに必ずクラス会をしよう。」と何度も言ってみんなを笑わせたが、みんなはそれまでとても待てない。3,4年後に再びクラス会を開こうと誓って、ようやく解散となった。
しかし、ホテル組の5次会はまだまだ続くだろう・・・。1次会から感じていたことだけど、みんな変わっていない。もっと中年太りで体型も風貌も変わっているかと「期待」して来たが、男性陣の髪の毛は少々色や本数に変化はあったにしても腹の見苦しさは見当たらないし、女性陣は学生時代の可愛らしさはそのままで、以前にも増して魅力的で綺麗だった。5次会へ向かう千葉さんと私は、しきりにそう口にした・・・。

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(個人的に5次会へ続く)佐義


26Pクラス会個人的5次会:千葉さんのアパート (時間不明)

4次会を終えてホテル組みと別れ、千葉さんと私はタクシーに乗った。
夜の神戸がタクシーの窓の外に流れた。私には、外を流れる無数の明かりが、学生時代にみんなと出会ってからの思い出の一つ一つに重なって見えた。夜の闇に消えていた私の小さな過去たちが、今日のクラス会をきっかけに今の私としっかり結びついていた。そんな安堵感を私は心地よく味わっていた。
しばらくして、千葉さんが口を開いた。「きょうは、クラス会に出て本当によかった。」千葉さんは1次会からかなりのペースで飲んでいて、少し呂律が回らない状態だったが、私にゆっくりとした口調で話してくれた。「25、6年を隔てた後で再会するというのは、全く不思議な空間だった。クラス会に出て本当によかった。また行きたい。」と繰り返し言った。私も全く同感だった。やがて、千葉さんのアパートに着いた。部屋の中でも寝る間際まで、二人はさっきの言葉を繰り返した。私は1次会から止まらなかった咳が次第に和らいでいた。その夜、私は朝までぐっすり眠った。

あくる朝、千葉さんは三宮の街を車で案内してくれた。街はすっかり復興し、活気に満ち溢れていた。しかし、それは震災を忘れた街ではなく、過去と現在をしっかり繋ぎとめた街であった。 今の私にはそれがはっきりと見えた。電気屋で、私はパソコンのソフトを、千葉さんはMDデッキとMDプレーヤーを買った。二人はそれぞれの目標に向かって、新たに勉強したいと素直にそう思った。そして、私は左手には買い物の紙袋を、右手には忘れることの無い過去と現在の思い出をしっかり握り締めて、神戸をあとにした。爽やかな、暖かい日であった。

佐義

PS: みんな本当にありがとう。会えて嬉しかった。また会いましょう。



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