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激走!大阪湾! 平成19年12月23日


 平成19年12月23日日曜日に念願の大阪湾単独クルージングが実現した。実は前日の22日にマリーナから23日は天候不良の予報で出港はできないと聞かされていたので、準備はしていなかった。明日24日は出港できるだろうかとマリーナに電話をした。マリーナの大塚専務から本日のほうが波はフラットで出港は可能と言われた。急いで支度をした。ライフジャケットとレインジャケットとマリーナまでの地図だけを持って車で出発した。

阪神高速湾岸5号線を車でひた走り貝塚出口まで突っ走った。マリーナに到着して初めて大塚専務の顔を見た。やはり自然を相手に仕事をしている人は「いい顔」をしている。商売と言うより本人が海との生活が好きなのだろう。時間が惜しいので大塚専務に矢継ぎ早に質問する。「巡航速度のエンジン回転数は?最高速度は?GPSは付いてるの?」大塚専務が即答してくれた「巡航速度は4千回転で27ノット(時速50km)で最高速度は5700回転。GPSは付いてない」

GPSが付いていないと聞かされて内心大きな不安に陥る。ボートやヨットで何度も寄航した新西宮ハーバーとベルポート芦屋まで行くだけなら経験と勘だけでいとも簡単だ。大阪湾は周りを陸地に囲まれた大きな湖のようなものだ。まっすぐ走っていれば、いづれどこかの海岸にたどり着く。しかし、生まれて初めて訪れたマリーナにGPS無しで海上から戻って来るのは余程記憶力に自信が無いと出来ない。帰路が心配である。少し沖合いに出れば大阪湾と言えども周りは何もなくなる。ましてや砂漠の蜃気楼のような小さな町影を見てもどこの街やらさっぱり分からない。

 明るいうちに帰港したいので大塚専務との話もそこそこに桟橋に準備されたボートに案内してもらう。今まで何度も乗ったヤマハのSRV-30型よりひと回り大きい。フロントガラスが前面を覆っているのが頼もしい。SRV30ではほとんど箱舟に船外機を付けた状態なので波をかぶって全身びしょ濡れになる。エンジンもSRV-30の70馬力に比べて今回のFR−21型は90馬力とパワーアップしている。乗るのは私だけである。相当なハイスピード走行が期待できる。マリーナのスタッフと法廷備品の確認を手早く済ませてエンジンを始動する。なかなかパワフルな音がする。川の奥にあるマリーナから外海に出るまではデッドスローで進む。

 クルージング中に発生するトラブルの可能性は「流木との衝突」、「ちぎれた魚網をスクリューに巻き込む」、「エンジントラブルによる漂流」、「ガス欠」、「パワーステアリングの故障による操舵不能」など。マリーナには帰港予定時刻を連絡してある。万が一何か起きて帰りが遅くなればマリーナが海上保安庁に捜索要請してくれる。太平洋の大海原ではないのだから探してもらうのは簡単だ。海上保安庁の救助用ヘリコプターが関西国際空港から飛んできてくれる。大阪湾で一日以上漂流することなどまず無いだろう。そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。

持参した座布団を運転席に敷く。これも経験から得た知恵だ。ボートがジャンプして海面に叩きつけられたときの衝撃は体にこたえる。次に磁気コンパスと撮影用のカメラをすぐに取り出せるようにカバンの上に出しておく。

 高速クルージングの醍醐味を皆さんに何とか分かって貰いたい。海上を疾走すればボートは空中を飛ぶ、コーナリングでは船体を大きくバンキングさせる。その姿を私自身が撮影することは出来ない。海上のジェット戦闘機なのである。アメリカ海軍のジェット戦闘機「F-14型、愛称トムキャット」をイメージしてもらえば良いかもしれない。









 アメリカ海軍太平洋第7艦隊の原子力空母に搭載された戦闘機としてべトナム戦争以来長らく主力戦闘機の座に君臨した名機である。映画「トップガン」でトム・クルーズ演じるマーベリックが乗った機体だ。



 皆さんは車のタイヤの代わりにプロペラの推進力で海上を進む乗り物を「ボート」と思ってないだろうか。時速70km以上の速度で海上を疾走すると空中を飛ぶのである。その意味を分かって欲しくて「F-14」を引き合いに出した。一旦空中に飛んだ船体はその後恐ろしく強い衝撃を伴って船体ごと海面に叩きつけられる。その時衝撃をまともに体で受けたら背骨から頚椎までバラバラになるほどの「G」(重力)がかかる。

 ボートは海上で潮の流れや風の影響を受けて船速をさらに増す。海上で旋回すると船体は進行方向の内側に向けて大きくバンキング(傾斜)する。30度程度傾斜する操縦席から海面まで手が届くほどである。疾走するボートは、さながら「海上のトップガン」なのである。フルスロットルで走行すれば運転席にお尻をつけておくことは出来ない。乗馬と同じで腰を浮かせて脚で体を支える。ほとんど立っている。船を停めたのは写真を撮るときだけである。それ以外はずっとフルスロットルで爆走だ。おかげで帰港したとき大塚専務から「よくこれだけ乗りましたね」と言われるほどガソリンを消費していた。

 こんなエピソードがある。自衛隊の戦闘機が民間旅客機とニアミスしたことがある。自衛隊のパイロットはなにひとつ言い訳をしない「私は旅客機を視界に入れていた」その一言だけ。戦闘機のパイロットにすれば目で見えるものはいつでも回避できるとの意味だ。私のボートが貨物船やフェリーボートに近づいたときも同じ。視界に入っていれば危険だと感じたときに急旋回すればよい。



写真 No. 1

貝塚市オーオーサカ・マリーナの大塚専務とのツーショット。電話では相手の顔かたちまでは分からない。百聞は一見にしかず。人の良さそうな顔立ちである。










写真 No. 2

航海計画の略図。本来であれば海上保安庁の海図で綿密に航海計画をたてなければ船長としての資格が問われる。しかし乗客がいるわけでも無く目的や時間制限があるわけでもない。大阪湾の爆走をひとりきりで心行くまで満喫したいだけなのだ。理由はただそれだけ。










写真 No. 3

オオサカマリーナのスタッフに出港前の私とボートを撮影してもらった。柔そうに見える船体だがスロットルを開くと90馬力のエンジンが唸りをあげる。フロントガラスが前面にあるため波しぶきで体がびしょ濡れになることはない。










写真 No. 4

オオサカマリーナは二色の浜海水浴場の南端に流れ出す川の少し川上に位置している。出港するときは川下りの要領で静かに外海に出て行く。いままでインターネットで何度となくレンタルボートのマリーナを探したのだが、なぜ大阪マリーナが今回まで見つからなかったのかわからないままであった。










写真 No. 5

いちど外海に出てしまうとそこには空と海、その間の水平線しか見えない。当然のことながら道路標識も信号機も無い。外海にいるということは陸上生活からの完全なる開放を意味するが同時に誰も助けてくれない状況とも言える。










写真 No. 6

ボートにGPSがなかった。念のため持参したコンパスが思いのほか役に立った。備え有れば憂いなしという事か。それにしても今回の航海計画はずさんな気がした。










写真 No. 7

ボートは釣り船とウェークボード用の2種類に大別される。ボードに乗りボートでひっぱてもらって海上を滑るのがウェークボードだ。船長が後方のウェークボードを見れるよう大型鏡が取り付いている。鏡に自分の姿を写して撮影した。










写真 No. 8

途中景色を見間違えて泉大津のマリーナに迷い込んだが出港して1時間半で早くも神戸港の新西宮ヨットハーバーに到着。「海鳥」と命名されたヨットを見つけた。ほんのわずかな「大阪湾ひとりぼっち」なのに久しぶりに人の気配を感じたようで嬉しかった。










写真 No. 9

新西宮ヨットハーバーには私の会社の実験船が係留されている。2隻あるうちの古いほうの実験船だ。国際部に在籍していた頃に海外の客と乗ったことがあるが客船ではないので乗り心地はあまり良くない。










写真 No. 10

新西宮ヨットハーバーの西隣には「ベルポート芦屋」がある。ベルポート芦屋の後ろに見えるのは芦屋の高層マンション群である。余談になるがベルポート芦屋の北側の敷地に「マルキーノ」と言う結婚式場が有る。昨年姪の二人が偶然同じその場所で結婚式を挙げた。最初に結婚式をあげた姪は既に長女を出産している。私もおじさんだ。










写真 No. 11

ベルポート芦屋のビジターバース。接岸の準備に入って困ったことに気が付いた。私が操船して誰が桟橋にロープをかけてくれるのだろうか。誰もいない。










写真 No. 12

ひとりで接岸しロープで桟橋に係留するのは至難の業だ。それを見かねたマリーナのスタッフがボートフックでボートを引き寄せてくれた。可愛いお姉さんだったので写真を撮らせてもらった。










写真 No. 13

あつかましくも私を助けてくれたマリーナのお姉さんに私の写真を撮ってもらった。この写真がないと本当に貝塚から芦屋まで来た証拠がない。桟橋に足をつけてみてやはり大阪湾は狭いと思った。ボートのスピードが速かったからなのだが。








写真 No. 14

クリスマスの飾り付けをしたクラブハウスのレストラン。お昼のコースメニューをしっかりと食べた。普段は満席なのだがなぜかこの日はほとんど客がいなかった。お天気が下り坂になるためかも知れない。










写真 No. 15

ベルポート芦屋を出て神戸港のクルーズに移った。海上自衛隊の掃海艇が停泊していた。近寄って肉眼で見ると木造船であることが分かった。水中機雷に反応しないように木で作られている。ひょっとするとイラク戦争のあと活躍した掃海艇かもしれない。お正月前のお化粧直しということだろうか。










写真 No. 16

ポートアイランドの西側バースには、海上保安庁の沿岸警備艇が横付けされていた。船体側面の二本のストライプと「Japan Coast Guard」のペイントがカッコいい。日本領海の安全と遭難者の救助にあたる頼もしい艦艇だ。船首には以前に北朝鮮工作船が領海侵犯した際に話題になった機関砲が付けられている。いかに日本の国を守るために重要な任務につく船であるかが分かる。










写真 No. 17

三宮と神戸空港を結ぶポートライナーが走っていた。わたしも以前はポートアイランドの住人であった。長い年月が流れたことにしばしの感慨にふける。










写真 No. 18

12月15日に26P関西支部忘年会をしたハーバーランドのMOSAICと観覧車が見える。海上から見るとどれも意外と小さく見える。










写真 No. 19

神戸ポートアイランドの水上消防署所のレスキュー艇と消防艇。どちらの船にも私の会社のレーダーが装備されている事は知っていた。小さく写っているが消防署の隊員が私の頼みに応じてくれてカメラに向けてポーズしてくれた。










写真 No. 20

帰路に着く。神戸港に別れを告げる。防波堤が左手に見ている。また何も陸地が見えない空と海面だけの世界をひた走ることになる。










写真 No. 21

ボートが起こす引き波を見てもらえば少しはスピード感が伝わるだろうか。フルスロットルのまま体をひねって後方のひき波を撮る。エンジンのサイズに比べてひき波が大きいことが高速走行しているボートの証である。










写真 No. 22

三本マストの帆船を見つけた。日本の海洋練習船かと思って近づいたが個人の船らしい。デッキにいた女性には日本語が通じなかった。カメラを見せて指差した。こちらの意図が分かったようで少しポーズを作ってくれた。何処の国の船だろうか。










写真 No. 23

陸地に接近したのに携帯電話が通じない。かなり焦ってくる。仕方がないので岸壁にいた家族連れに、ここは何処かを尋ねた。貝塚公園で振り向いた後ろ側が二色の浜海水浴場だと言われた。南方を見ると漁船と他のボートがゆっくりと川を上って行く。それらの船の前をかすめるようにハイスピードで河口に近づいてマリナーの有る川だと分かった。









奇跡のようだが迷いもせずに途中何事も無く帰港することができた。予定通りの6時間のクルージングである。これにて私の大阪湾の爆走は終わった。感激した。感動した。海上の爆走を満喫した。幼い頃の夢がこの歳になってやっと実現した。家路に着いた時阪神高速大阪5号湾岸線は陽が沈み夕暮れだった。車を運転していてもクルージングの興奮がまだ冷めない。このときボートで全身打撲していることには気がつかなかった。1週間経っても体を曲げると背骨に激痛が走った。ひとりで海上を爆走できるのは今回が最初で最後だと思えた。11月に急逝した幼友達の追悼クルーズでもあった。友よ、また会おう!






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