平成16年7月プラハ支部レポート



   溝畑貞子さんと今年お会いできたのは、びっくりでした。ここに来られる数日前に電話を頂き、これから旅行するから、という事で急遽、話が決まったのでした。私もデンマークへ行きたいと前から思っていたのですが、先を越されちゃった感じです。温厚でスマートなご主人と、意外と日本人的な感じの坊ちゃんにもお会いでき、堅実なご一家で幸せに過ごされている様子が、よくわかりました。

1日で慌ただしく次の目的地へ行かれたので、そんなにゆっくりはお話できなかったのですが、お互いに、現地語が完璧にできるようになるのは永久に無理ね、なんて納得し合ったり、ヨーロッパの女性は気が強くて、息子が恐いお嫁さんに操縦されたらどうしよう、なんて同じ心配したり、共通点がいろいろあって、久しぶりにほんとに楽しい時間が過ごせました。デンマーク語は母音の発音がかなり細かく、日本語にない発音なので、とてもむずかしい、とはおっしゃりながら、普段の生活では日本語が全くなしなので、デンマーク語の方がすぐ出てくるようでした。 

デンマークでは8月にもう学校が始まり、休みは1ヶ月しかないそうなので、しかもご主人も学校勤務で同時にお休みなので、毎年7月の休みをご家族で大切にされているようでした。今度は私達がデンマークへ行かなきゃね、と言って別れを惜しみました。やっぱりクラスメートって良いもんですね。

井筒裕子



「左は貞子さんの息子さん、アントン君」

裕子さんにお出会いしたのは7月6日で、その日は運良くチェコの祝日で、裕子さんも仕事がお休みだったので、でも足を怪我されてご不自由なご主人を家に残して、私達のために出かけてきてくださいました。

 28年ぶりで?異国の地で、学生の頃のままの裕子さんにお出会いして、懐かしくて全く夢のようでした。カフェに座ってミルクコーヒーと裕子さんのおすすめの蜂蜜ケーキを賞味しました。それからいろいろな通りを歩きながら、のべつお話をしました。国は異なっても異国で暮らしているという同じ環境なので、いろいろ聞きたいこともたくさんあり、話が絶えませんでした。ご自分で無口だとおっしゃる裕子さんもこの日は、ひっきりなしにする私の質問に応じるために話をしてくださいました。

 時々おもしろいことを言いながら、ゆっくりと話をされる昔のままの裕子さんでうれしくなりました。夕方5時には家に帰られるつもりにされていたのですが、遅くなってしまって地下鉄の駅でお別れした時にはもう7時を過ぎていたと思います。もっと長く一緒にいればまだまだ話を続けられたと思います。

 まだチェコが社会主義国だった頃に裕子さんはプラハに来て、異国の新しい家族の中に入り、二人の子供さんを育てて、時の変化、社会の変化を乗り越えて、元気で今日まで頑張って暮らしてこられて立派だと思います。名残惜しい思いでしたが、旅のはじめに得られた良い思い出を持って、私は夏の旅を続けました。プラハはデンマークからそんなに遠くないので(750kmぐらい)また何度も訪れたいなと思っています。

2004.7.19  溝畑貞子



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